2018年02月13日

わが国の稲の栽培起源は(古代米)

日本の稲の栽培はいつから?
 約20年ぐらい前までは、弥生時代前期頃から、稲の栽培が始まったとされていました。ところが、近年の各地の遺跡の発掘調査で、多くの米に関する遺物が出土し、籾や炭化米、さらに籾の圧痕などを総合的に調べていきますと、どうやらそれ以前までさかのぼる可能性も出てきました。
 ごく最近の例では、平成4年3月に、約3000年前(縄文時代後期)の籾の圧痕のついた土器片が、岡山県総社市の南溝手遺跡で見つかりました。米の存在を示す国内最古のものです。土器を焼く前の粘土に混じっていたものと思われます。
 この稲が日本国内で栽培されたものか、外国から入ってきたものかはわかりませんが、わが国における稲の栽培起源が、縄文時代後期あるいは中期にまで遡りそうです。

日本への米の渡来ルート
 日本に米が伝わった経路については、稲の栽培が世界のどこで始まったかということに密接に関係していますが、「雲南・アッサム」説や「長江下流域」説などを総合的に整理してみますと、図に示すようなルートが考えられます。
@朝鮮半島を経由して九州へ
A長江下流域(江南)から直接東シナ海を経て九州へ
B西江下流域から台湾、南西諸島を経て九州へ
C南の海から南西諸島を経て九州へ
 このうち、どれか一つの経路のみによって、米が日本に渡来したと考えるのは無理があるようです。
 日本の稲の栽培がたとえ縄文時代後期であったとしても、それは約3000年前のことで、世界の稲の栽培起源より数千年も後のことです。その間に、稲の栽培があらゆる地域に広がっていったと考えると、やはり様々な経路を経て、日本に伝わってきたとする方が妥当なように思います。


古代米は日本人を救う
古代米は日本人を救う


posted by ハートマン at 11:03 | 健康ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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