2017年10月10日

梅の名所ことはじめ【梅干し】


水戸が梅の名所になったわけ
 梅といえば有名なのは、水戸の偕楽園です。いまでも春ともなれば、数多くの観光客が訪れる梅の名所です。
 水戸の梅が有名になったのは、烈公の呼び名で知られる九代藩主・徳川斉昭の功績です。この烈公は江戸もだいぶ後期の人ですから、おなじみ水戸黄門の光圀公の頃は、水戸にはほとんど梅の木はなかったくらいなのです。
 さて、この烈公は梅の花を愛していただけでなく、その薬効にも注目していたので、なんとか梅を水戸に根づかせようと、自ら江戸などで梅の実を集め、水戸の地に植えていきました。藩校である弘道館を新設したときは、そのまわりに数千本もの梅を植えています。これが現在の偕楽園なのです。
 烈公はまた、うめぼしのつくり方にも持論があり、その製法を記しています。これはしその葉をつかった、現在のうめぼしと同じもので、酒気を加えると柔らかくなるので、酒樽をつかうといいなどの工夫も加えています。
 こうした先駆的な人たちのおかげで、うめぼしは庶民のあいだに浸透していきます。
 うめぼしと昆布に熱いお茶をそそいで飲む「福茶」もそのひとつです。これは正月や節分などの季節の行事にも欠かせない飲み物となりました。
 また、江戸時代から明治時代にかけては多くの疫病が流行しましたが、こうしたときにも庶民はうめぼしの殺菌力に頼ったのでした。

生産量日本一は和歌山県
 水戸が「梅の花」の名所なら、「梅の実」の生産量日本一は和歌山県です。
 和歌山は大粒の梅「南高」を産することで有名。当然、うめぼしの生産も盛んで、内地うめぼしの大部分を加工しています。
 和歌山県の梅栽培の歴史も古く、徳川家康の第十子であり、初代紀州藩主頼宣の附家老・安藤直次が田辺藩主として赴任し、産業奨励策として荒地にうめを植栽し免租にしたのが始りで、以後「藪梅」として連綿と伝えられ、明治時代から現在の管理栽培やうめぼし加工が行なわれています。




うめぼしパワーが健康を守る
うめぼしパワーが健康を守る



posted by ハートマン at 15:43 | 健康ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする